最高裁判所第二小法廷 昭和38年(あ)1522号 判決 1966年1月28日
主文
本件各上告を棄却する。
理由
被告人ら全員の弁護人岡林辰雄、同竹沢哲夫、同樋口幸子、同斎藤忠昭、同青木正芳、被告人斎藤実、同藤本正利を除くその余の被告人らの弁護人島田正雄連名の上告趣意第一点について。
所論は、違憲をいう点もあるが、その実質は事実誤認、単なる法令違反の主張に帰し、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。
同第二点について。
所論中、憲法三七条一項違反をいう点は、右憲法の条項にいわゆる公平な裁判所の裁判とは所論のような場合をいうものでないことは、当裁判所屡次の判例の示すところであつて(昭和二二年(れ)第一七一号同二三年五月五日、同二二年(れ)第四八号同二三年五月二六日各大法廷判決、刑集二巻五号四四七頁、同五一一頁参照)、右違憲の主張は理由がなく、その余の論旨は、単なる訴訟法違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。
同第三点および第四点について。
所論は、違憲、違法をいうが、憲法は審級制度を如何にすべきかについては、その八一条において最高裁判所は法律命令等が憲法に適合するか否かを決定する権限を有する終審裁判所である旨を定めているほか何ら規定するところがないから、この点以外の審級制度は立法をもつてこれを定めうるものであり、したがつて、事実審査を第二審限りとしても憲法に違反するものでなく、また、上告理由が刑訴法四〇五条により制限されている関係上、第一審の無罪判決を破棄自判により有罪とした第二審判決に対し上訴によつて事実誤認等を争う途が閉されているとしても、違憲といえないことは、当裁判所大法廷判決(昭和二二年(れ)第四三号同二三年三月一〇日宣告、刑集二巻三号一七五頁)の趣旨とするところである。また、刑訴法四〇〇条但書の規定は、控訴審がみずから事実の取調をするにおいては、第一審の無罪判決を破棄して有罪となしうる趣旨であつて、この場合に、憲法三一条、三七条二項の保障する被告人の権利を害さず、直接審理主義、口頭弁論主義の原則を害するものでないことは、これまた、当裁判所大法廷判決(昭和二六年(あ)第二四三六号同三一年七月一八日宣告、刑集一〇巻七号一一四七頁、同二七年(あ)第五八七七号同三一年九月二六日宣告、刑集一〇巻九号一三九一頁、なお昭和三三年(あ)第二〇八二号同三五年一二月八日第一小法廷判決、刑集一四巻一三号一八一八頁参照)の趣旨とするところであつて、本件につき、原審が自判に必要な事実の取調を行なつていることは、記録上明らかである。されば、所論憲法三一条、三二条、三七条二項、七六条一項、八一条並びに刑訴法四三条一項、三五一条一項、四〇〇条各違反の主張およびこれを前提とする憲法一四条違反の主張は、いずれも採用できない。所論は、さらに、憲法七六条三項違反をも主張するが、原審裁判官がその良心に反して裁判をしたと疑われるような証跡は存しないから、右違憲の主張は、前提を欠き、適法な上告理由に当らない。
同第五点ないし第八点および被告人ら本人の上告趣意について。
所論中には、違憲または判例違反をいう点もあるが、実質は事実誤認、単なる法令違反の主張に帰し、刑訴法四〇五条の上告理由に当らない。
また、記録を調べても原判決に各所論の点について同四一一条一号または三号を適用すべきものとは認められない。すなわち、(一)まず、被告人山本ヨシノを除くその余の被告人らにかかる各森林法違反の事実についてみるに、本件森林を包含するいわゆる小繋山に対する所有権が土地官民有査定処分以来転々して原判示鹿志村亀吉の手に帰したものであり、右山林に対し大字小繋部落民が従前共有の性質を有しない入会権を保有していたが、仙台高等裁判所において成立した原判示調停の効力により、右部落民は本件森林に対し入会権その他なんらの権原を有しないとした原審の認定判断は、挙示の証拠に照らして是認できる。弁護人並びに被告人らは、第一審以来、一部入会権者の参加漏れその他の事由を挙げて、右調停は不成立または無効である旨主張し、被告人らの原判示立木の伐採ないし運搬の各所為は入会権の行使またはこれに基づく適法行為であるというのであるが、所論が参加漏れであると主張する滝川金三および藤田儀介の両名については、利害関係人立花善一がその代理人をも兼ねて調停の期日に出頭し、その成立に関与した事実は、調停調書の記載に徴し明白であり(右代理人としての出頭の点に関する同調書の記載の信用性を疑うべき証跡は存しない)、右立花善一が両名の代理人として調停に関与した行為が無権代理ではあるが、原判示の理由により各本人の追認があつたものとして、両名の調停参加の効力を認めた原判断は相当である。また、所論堀口与七および若子内与三郎の両名につき、人会権を有していたものとは認めがたいとして、同人らの調停不参加がその効力に影響を及ぼさないとした原審の認定にも誤りがあるとは認められない。その他、所論調停の不成立または無効を来すべき事由が存するものとは認められないとした原判示は、いずれもこれを首肯するに足り、事実誤認、理由不備などの違法があるとは認められない。されば、右調停が不成立または無効であることを前提として本件森林法違反の罪責を否定する前記主張を排斥し、被告人らに対し同罪の成立を認めた原判決は、正当として是認しうる。(二)つぎに、被告人山本ヨシノにかかる封印破棄、被告人山本清三郎、同小川市蔵、同立花金作にかかる窃盗、被告人山本満雄にかかる窃盗、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の点に関する第一審判決判示の各事実は、原判決が同被告人ら並びに原審弁護人らの各控訴趣旨に対する判断の項において説示するとおり、第一審判決挙示の関係証拠によりこれを肯認するに足り、その認定を支持した原判決に事実誤認、採証法則の違反があるとは認められない。
よつて、刑訴法四一四条、三九六条により、裁判官全員の一致の意見で、主文のとおり判決する。(奥野健一 山田作之助 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外)
弁護人岡林辰雄、同竹沢哲夫、同島田正雄、同樋口幸子、同斎藤忠昭、同青木正芳の上告趣意
第一点〜第四点<省略>
第五点 昭和二八年調停は不成立無効である。これを有効に成立したとする原判決には重大な事実の誤認、法令の解釈適用の誤り並に判例違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
仙台高等裁判所昭和二六年(ネ)一九五号、同二七年(ネ)第三〇号の両事件を併合して昭和二八年十月十一日成立したといわれる調停(二八年調停、本件調停または単に調停と略記)について、一審判決が形式的にも実質的にも無効であるからその当事者利害関係人およびそれらの家族を拘束するいわれがないとし、小繋部落民に入会権があると認定した上、小繋山からの立木伐採行為等につき無罪を言渡したのに対し、原判決は「調停がはたして無効であるかいなかの争点について吟味を試みる」といつて(イ)乃至(ト)に別つて判示している。
しかし、これらの原判示にはいずれも重大な事実誤認、法令解釈適用の誤並に判例違反がある。
一、入会権者滝川金三および同藤田儀介の参加脱漏(原判示丙(ニ)に関連して)
1 滝川および藤田の両名とも「調停当時世帯主であつた」ことは検察官においてもあえて争わず、原判決も証認によつて認定しているとおりであるから、小繋山に部落民が入会権を有する場合には両名は当然に入会権者であり、したがつて原判決が(ハ)において判示する如く「入会権を廃止するには入会権者たる入会部落全住民の同意を要するもの」であること疑なく、右両名の参加脱漏の有無は必然的に調停の効力に影響する。
2 ところで、証人滝川金三および同藤田儀介の原審第八回公判 日における各供述および調停事件記録に綴られている両名の仙台高裁民事部あての歎願書によると
(1) 両名は調停期日すら知らなかつたこと従がつて調停期日当然参加の意思の片鱗すら有しなかつた事実
(2) 調停手続の席上、控訴代理人福田耕太郎もしくは控訴人山本善次郎が「両名は山など必要なく、山に入らぬ、薪炭等は兄のいる平糖方面より入手するにつき、調停に参加する意思はないといつている」旨のべた事実。
(3) 調停調書上、両名の代理人として表示されている立花善一も、右の次第である以上、両名を代理する意思を有していなかつたことはもち論、代理人たる外見を呈する余地のなかつた事実を認定するほかない。
これらの各事実と調停調書が早くても昭和二八年十一月四日に送達されている事実を考え合せると、十月十一日調停成立後相当日時を経て調書が作成され、その際に、調停成立後郵便送付のあつた両名の委任状および許可願に、ほしいままに十月十一日の受付印を押捺した上事実に反する調書を作成したものと認められる。
これらの事実関係は原判決も大要認めざるを得ないところである。
調書には弁論の場所及び年月日とともに、当該弁論期日に出頭した当事者、代理人等の氏名を記するものであること民訴法第一四三条に明らかである。
してみれば、本件調停調書の記載は明らかに事実に反して記載されているのみならず、本件調停調査中、立花善一が両名の代理人として参加した旨の記載は刑法第一五六条の公務員に因る公文書偽造罪を構成する。
すなわち、右両名の委任状参加願および歎願書はいずれも折目が三つあり、前記証言とを綜合して考えると十月十一日以降、両名が立花善一、鉄郎、鹿志村光亮に教えられて仙台高裁宛これを郵送したのであるが、これを受領した仙台高裁書記官工藤繁が故意にその封筒を隠めつした上、右各書面に勝手に昭和二八年十月十一日なる受附印を押捺し、恰も右書面が十月十一日受付けられたものの如く装い、調停当日右書面が提出された如く仮装して、故意に立花善一が両名の代理人であるかの如く虚偽の調停調書を作成したもので、右偽造は同書記官の職務に関して行使の目的をもつてなされたものであること、明瞭に証明されているからである。
3 民訴法第一四七条は右のような犯罪を組成する行為によつて作成された調書にまで原判決がいうように「絶対的な信頼をおき、他の証拠によつてこれをくつがえすことを許さない趣旨である」というべきであろうか。もし、このように解すべきであるとすれば、書記官が勝手に参加もしない人を調停当事者に表示してしまえばその当事者は請求異議その他の方法で争う方法すら奪われるという看過できぬ不当な結果を招来するであろう。
原判決は右のような明白に誤つた民訴法第一四七条の解釈を前提とした上「かような観点から本件の調停につき作成された調書により問題を滝川および藤田関係に限定して考察すれば立花善一が利害関係人滝川および藤田の代理人として調停委員会に出頭し、被控訴代理人から右二利害関係人の調停参加を申し出、調停主任判事が調停委員とともに立花善一を含むと認められる当事者、利害関係人に調停を試みたという手続上の事実は疑うことはできないのであつて、他のいかなる反証をもつてしても右事実を動かすことはできない」というのであるが法律が明白な虚偽を動かすことのできぬ事実とまで仕立てあげることを同条によつて認めたものと解すること、どうしてできるだろうか。
4 次に民訴法第一四七条が原判決のいう如く、調停手続に作成する調書に準用されるとしても、調停調書における当事者の記載は他の一般的な口頭弁論調書における記載とはそのもつ意味が本質的に異る。
原判決は民訴法第一四七条の口頭弁論調書の当事者代理人の記載を以て「形式的事項」であるといい、そのことから調停調書のその記載をも形式的事項であると判断をすすめている。
しかし、調停調書は確定判決と同一の効力をもつものである。したがつて確定判決の場合と同じく、調停調書における当事者は調停条項によつて権利関係が誰と誰との間に確定されるかすなわち権利関係確定の主体と客体を決すべき事項である。とくに必要的共同訴訟たる本件調停の如き場合は、調停の効力の有無にまで影響する実質的事項であるといわねばならない。
原判決は、こと更調停調書の当事者、代理人の記載を口頭弁論調書に関する民訴法一四七条をもち出して「形式的事項」にすりかえ、この場合にこそ重視されるべき、判決書(民訴法第一九一条)の場合との対比検討を回避し、必要的共同訴訟である本件調停の決定的瑕疵を救済しているのである。
5 原判決は、調停期日における立花善一の行為を両名の無権代理行為であるという。
無権代理行為というためには、代理権が全然ない場合に代理人であるといつてなした行為であることを要すること疑ない。
しかし、本件の場合、立花善一が調停期日において両名の代理人であるといつてなした行為は全然ないのである。
立花善一は鹿志村派の人物であるが、調停期日には、かえつて反鹿志村派の山本善次郎やその代理人たる福田耕太郎弁護士が両名は山はいらないといている旨、席上申出ていた事実が証拠によつて明らかにされている。だから立花善一が調停期日に、両名の代理人であるといつてなした行為が存在する余地は全くないこと余りにも明白である。
かかる事実関係に、無権代理行為なる判断をもちこむ余地もまた全くない。
原判決の重大な事実誤認、法令解釈適用の誤は明瞭である。
6 而して、したがつて追認を論ずる余地もまた全然ないのである。
原判決は「代理権を有しない者が訴訟代理人としてした訴訟行為は本人……が追認をすれば行為の時にさかのぼつて有効となる」というが本件では立花善一が両名の「訴訟代理人としてした訴訟行為」なるもの、全く存在しないことが証拠によつて証明されているのである。
7 以上、のべたとおり、原判決が丙(ニ)において判示するところには、重大な事実誤認、法令の解釈適用の誤、理由のくい違い、不備があり、両名の参加脱漏は入会権の廃止に関する事項を含む調停である以上、調停の効力を否定することになり、ひいては本件被告人らに対する刑責の有無にまで影響すること一審判決によつても明らかであるから、右の違法は原判決を破棄しなければ著しく正義に反する場合に該当する。
二、入会権者堀口与七および若子内与三郎の参加脱漏(原判示丙(ハ)に関連して)
1 おみきあげについての事実誤認
原判決は堀口与七に関する判断の中で「論旨は、新入りの移住者は部落内の家団の代表者が毎年旧の七月二四日または二百十日の前日に部落内の小安地蔵尊に集合して行なう「おみきあげ」なる行事に出席し……仲間入りを願い参会者の承諾を得ることによつて入会権を原始的に取得すると主張する」と判示する。
しかし、第一に右判示は検察官控訴に係る判断の部分である。その場合「論旨」とは検察官の控訴の越意に他ならず、被告人弁護人の一審における主張を被告人が控訴もしていないのに論旨というのは不当である。
第二に、被告人弁護人は一審以来、部落の慣行としての「おみきあげ」が旧七月二四日と二百十日の前日の二回である、とのみは主張していない。なるほど一審冒頭の総括的意見ではかような主張をしたけれども、一審証人立花兼松、小川石太郎、その他小繋部落民多数の証言の結果「おみきあげ」は愛宕さまの命日である旧三月二四日、子安地蔵(原判決が小安地蔵と書いているのはその無知を示すものか)の祭の日である旧七月二十四日、同じく子安地蔵の祭の日である旧九月二十九日の三回である旨、証拠調の結果意見をのべ主張してきたのである。原判決はその「論旨」なるものの摘示自体誤つている。
ところで、原判決はこの「おみきあげ」について「これに参加することによつて特別の権利義務を生ずるという性質のものではないことが明らかである」という。
このような断定をするについて、原判決が引いている証拠は原審証人立花鉄郎、同笹目子市太郎の両証言だけであつて、一審以来の「おみきあげ」に関する多数の証言は全く無視している。
一体、原判決がとくに引用する証人立花鉄郎には原審第九回公判における滝川、藤田問題に関する証言にみられるように、宣誓の上であえて偽証した事実がある。同人はいわゆる鹿志村派の筆頭と目される人物で、戦後の民事訴訟では鹿志村と共に被告になつた部落民である。とくに、何故にかかる人物の証言を「おみきあげ」認定の証拠に引用するのか。弁護人はむしろ原判決の悪意すら感ずるものである。
しかも右立花鉄郎、笹目子市太郎の証言を検討すると、たしかに同人らは「おみきあげ」に参加することによつて権利義務は生じない旨、原判決の判示にそう証言をしている。しかし、その証言はいかなる質問の結果、出てきたものか、いささか検討を要すると思われる。
証人立花鉄郎に対する検察官の質問と証言(四〇二〇丁以下)
「問 その時(おみきあげ)は部落の人が全員集まるのか。
答 そうです。
問 いつも皆集まつていたか。
答 たいがい集つていました。
問 そうした「おみきあげ」に参加すると、参加した人に特別な資格でも持たせることになるのか。
答 参加した人も特別儲けになることはありませんね。
お酒を飲まない位が損をするということになりますかそんなものです。
問 参加した、しないによつてなにか権利義務が生じないということですね。
答 権利義務なんてことはありませんね。」
証人笹目市太郎に対する検察官の質問と証言(四六三四丁)
「問 その「おみきあげ」には部落民のどの家からも皆参加するのですか。
答 小繋部落では皆集つて来ると思います。
問 そのおみきあげに加わると何かの資格とか権利とかいうものを与えられるのですか。
答 そういうものはありません。」
一体、入会権は各地方の慣習にしたがうものである。古来の各地方の一定の慣習を近代市民法の中で入会権として保護しようというのが民法の趣旨である。
古来の慣習を事実としてみて、それが入会権たる慣習に相当するか否かわ判断されるべきこと柄であつて、その慣習の中に生きる人々に対して、「資格」「権利義務」の有無を問うことはむしろ非常識というものである。むしろ、権利義務として抽象化され得ないからこそ、慣習であるとすらいえるのである。したがつて右摘示のような検察官の質問に対し、「儲け」と「損」を以つて答え、「権利義務なんてことはない」というのはむしろ当然であつて、だからといつておみきあげは「特別の資格ないし権利義務を生ずるという性質のものではないことが明らか」という結論は到底でないはずである。右質問と対比して考えるならば右証言には証拠価値はなく、これをとらえて原判示認定にいたつた原裁判所は、入会裁判の能力すら疑われてもやむを得ないのではなかろうか。一審以来の部落民証人の各証言をみるならば、春木伐りの前に部落民一同集つておみきあげの行事をし、萩刈りの前に風祭りとしておきみやげの行事を行なつている。つまり、おみきあげの行事を終えてから春木刈り、萩刈りに入るのであり、おみきあげは小繋山に対する小繋部落民の使用収益と密接な関係をもつ行事なのである。もとより春木刈り、萩刈りなどの山の使用収益関係は小繋部落民にとつては生活そのものの一部たる慣習であつて、特段「儲け」とか「損」とか意識されるものでないこと当然である。それを「権利」「義務」の言葉におきかえれば、何らの権利義務を生ずるものではないとの言葉を部落民の口から引き出すのは極めて容易なことといわねばならない。
原判決が引用する立花鉄郎、笹目子市太郎の両証言でも別の個所では二百十日以後萩刈りに山に出ることを認めている。
してみれば、かかる部落民の山の使用収益関係とおみきあげとの関連を事実としてみて、それによつておみきあげが慣習にしたがうとされるべき入会権の得喪に関連するものか否かを判断すべきであつて部落民に難しい法律用語を投げかけ、そんなものはないというと、その片言隻句をとらえて原判決のような結論を導き出されては、そもそも民法が入会権の規定をおく趣旨すら没却されるであろうこと明らかである。
一審以来の各部落民証人の証言にしたがつて正しく判断するならば、一年に前記三回、部落ではおみきあげの行事を行ない、その際、部落内の子安地蔵尊あるいは愛宕さまに各世帯の代表者が集り、新入の移住者もおみき銭を出してよろしくと挨拶し、定住の意思を表明して仲間入りを願い、一同承認して正式の部落の仲間入りをし、これを終つて、その新入りを加えた部落民一同が春木伐り、萩刈り等の山の使用収益に入るものであること、おみきあげは山の利用と結びついた慣習であると認めざるを得ないのである。
したがつて、原判決のおみきあげに関する認定は明白に誤つており、これが事実誤認は原判決の堀口与七が部落の仲間入りをした証拠がないとの認定につながるもので、これが本件調停の効力に影響をもつ事実である以上、その誤認は原判決を破棄しなければ著しく正義に反する場合にあたるというべきである。
2 若子内与三郎についての事実誤認
原判決は「行政区画および地理的関係から若子内方が古くから本件山林原野に入り会つていた事実を推測することのできないことはいうまでもない」という。
しかし、若子内の住む笹目子部落は下平部落と接着し、下平にある笹枝スワ宅とともに一般に笹目子部落といわれる関係にあり、小学校は小繋小学校へ、墓地も小繋にあること、おみきあげその他の行事にも参加していることは疑を容れる余地がない。
さればこそ、本件調停時に、鹿志村光亮らは笹目子部落住民に対し参加方しようようして廻つているものといわねばならないのである。慣習に従うべき入会権の帰すうは単なる字名(行政区画)によつて決し得るものでないこと当然であるばかりでなく、地理的関係も右の如くであり、一村同然の慣習下に生活しているとすれば若子内が入会権者であること必然の結論であつて、原判決の事実誤認は決定的であり、この点一審判決の正当さはますます明らかであるといわねばならない。
原判決はさらに若子内は小繋山に「入り会つていなかつた」というが、一審九回公判における、当人である証人若子内与三郎の証言を虚偽だというのであろうか。同証人は現在は死亡しているが、右証言で「山に入つて木を伐ることもみな小繋部落と同じくやつて来た」と証言している。いうなればむしろ「行政区画上は字名は笹目子であるが、その慣習および地理的関係から若子内方は古くから本件、山林原野に入り会つていた事実を認めるべきこと、いうまでもない」と判示すべきなのである。
原判決は若子内が源七山にはいつて利用していた事実をあげるが、このような事実があつても、それは若子内が小繋山に入り会つていなかつたという理由になるものでは絶対ないこと当然である。
また、原判決は一審証人鹿志村光亮尋問調書等をあげて、調停参加勧誘に対し「若子内は山はいらないと称して参加を拒否したことが認められる」と認定する。
原判決は右認定に当り、こと更、証人若子内与三郎の証言を避ける。
若子内は右一審証言の際、同人は「おればかり村から除かれると不安なので」病気をおして出廷しているのである。笹目子部落のうち、仲間外れにされたのはただ一人若子内のみ、「おれは今までみなと一緒にやつてきたのにどうしておれだけ除くのか」と訴えていたのである。同人が小繋部落と行政区画からも地理的関係からも離れ、小繋山に入り会つていないのなら、どうして右のように訴えるだろうか。
鹿志村光亮の勧誘を拒否したとの経緯も、若子内証言によれば
「私が炭燃きをして帰つた晩方に隣家の祖父の笹目子市太郎の家に鹿志村光亮が来ていて、その二人が私の家に来て同人から「こんど山のことについて調停になることになつた。お前だけこの調停から除かれると今度からは山に入れなくなるからこの書付に判こを押せ」と言われました。私はどうしたわけかわからないまま判をつくことはできないと思つて、鹿志村光亮に「部落の人と相談をしてから返事をする」といいました。すると鹿志村は「いずれ明日の十一日までに裁判所に持つて行かなければならない書付だから明日までに返事してくれ」ということでしたので、私は翌日朝早く山本善次郎のところに行なつて「どうして、おれに山のことで喋りことがあつたら前もつて聞かせなかつたか、おれが判こをおさないと村の人と一緒にやつて行くことができないそうじやないか」と言いましたら善次郎から「いや、こういう書付がある。これに判こをつけばよい、まだ判こを押してないものがこれだけあるからお前も判こをつけばよい」といわれて書付を出されたのです。それで私はその書付に判こを押したのですがその書付はどういう内容のものだつたかは見ないで判をおしたのです。」
「しかし、後日「お前が遅れて判をつかなかつたために部落と一緒に暮せないんだ」という話がどこからともなく聞えて来ました、それで私は「そんなはずはない、おれはあたりまえにやつたはずだ」といいました」
という。
原判決はこの証言を措信できぬとして排斥しているのである。
原判決が採用した証言と排斥した証言とを対比してみよ。原判決が真実をまげるためにいかなる採証をしたか、特徴的につかむことができる。
真実のために病気をおして出廷した若子内与三郎氏、その病気の故に死去した同氏はかかる無暴な判断を何ときくだろうか。
いずれの点よりみても、原判決の事実誤認は重大であり、それが判決に影響をおよぼすものであること一審判決に照して明らかであるから原判決は破棄されねばならない。
三、要素の錯誤(原判示丙(ヘ)に関連して)
1 原判決は原審にいたるまでの弁護人の要素の錯誤についての主張を要約して「錯誤論の要旨は調停条項では控訴人、鹿志村以外の被控訴人および参加人の全関係部落民が本件山林原野につき永年有していた入会権を抛棄する代償として控訴人が現金二百万円の贈与を、関係部落民全員が山林原野一五〇町歩の贈与を受けることになつているが、山本善次郎を除く関係部落民は、山本善次郎が調停当時すでに訴訟に関して一千万円に近い借財をし、受贈山林原野をことごとく贈与もしくは売買名義で他に処分してしまつたことを知らずにいたもので、もしそのことを知つていたならば右の如き調停条項には応じなかつたはずであり、また、右の事実を知らなかつたことにつき過失の責もないというのである。」とする。
もち論、弁護人は右摘示の主張を錯誤論の一骨子としたことは争わない。しかしながら、弁護人のなした主張はそれに止まるものではなかつたのである。
弁護人のいま一つの錯誤に関する主張は、山本善次郎を除くその余の関係部落民が調停に参加を申し出し出たのは、調停に参加すれば山が使えるけれども、参加しないと山へ入れなくなるとの意思に基くのであり、もし当時調停条項中にかえつて参加することによつて永年有していた入会権を放棄する旨の条項が含まれていることを知つていたならば、右の如き調停条項には応じなかつたこと明らかな事情にあるから、右調停は要素の錯誤に基くものであるというにあつた。(原審弁論参照)
したがつて、原判決の如く争点なるものを設定し、(本来、検察官控訴に係る論旨であるから、検察官控訴論旨に判断を与えるのが通常であるのに、原判決は被告人らの一審における主張を恰も控訴論旨である如く扱つた上、これに対する判断を加えている)これに判断を加えることが控訴審裁判のあり方として許されると仮定しても、その争点の要約は正確でなければならないこと当然である。
しかるに、原判決は右の点については要旨としてすら掲げず、したがつて判断の対象としていないのであるから、原判決には先ず判断遺脱、理由不備の違法があることを指摘せざるを得ない。
2 参加申立をした部落民、ことに調停期日の直前に許可状、委任状に署名押印を求められた関係部落民は、判を押さねば従前通り山を使えなくなる。判をつけば従前通り山へ入つて使えるという調停として署名押印していること、また多くの人々は判を押しても調停の真の意味を解せず、山の利用関係について話し合いを進める位に思い、本件調停条項の如き調停が成立するとは夢想だにしていなかつたことが関係証拠によつて認められる。(第一点でも指摘した)このように認めべき証拠は実に多く枚挙にいとまがない。
それが逆に入会権を放棄もしくは主張しないこと、山へは立入らぬことを骨子とするものとすれば、山本善次郎を除く関係部落民は調停条項の如き意思表示をしなかつたであろうこと明らかであり、かつ、表意者すなわち判を押した部落民が期日直前に、誤つた話をきかされて表意したのであるから何らの過失はなくこの意味において本件調停は要素の錯誤に基くもので無効とされるべきものである。
3 原判決が常磐坑木株式会社、高橋吟太郎らとの各契約はいずれも停止条件附契約であるといつている点はここでは争わない。
而して、本件調停条項を内容とする調停の成立が右条件の成就であるとみなすべきものとする点もここでは認めて議論をすすめる。
ところで原判決がさらにすすんで「ひつきよう、山本善次郎の結んだ本件山林原野内の立木を目的とする贈与契約および売買契約は、契約に基く贈与者もしくは売主側の債務に関する限り履行不能に陥るべきものであつて、関係部落民が調停によつて取得した山林原野に対する権利を害することはないのである」とする点には明らかに事実誤認と法令の解釈適用の誤りがある。
(1) 原判決もいうとおり「関係部落民の一人で、立木の処分等につき一部関係部落民のみの委任をうけた山本善次郎において関係部落民全員の共有する立木を処分する権限を有しないことは当然の理である」けれども、しかしその場合少くとも山本善次郎についてはその持分について履行不能とはいえぬこと、また当然であり、また、もし真正な委任があれば委任者についてもまた同様である。したがつて、原判決のいう履行不能に陥るとの判断は誤りである。
(2) 証人吉田豊の証言その他で認められるように、常磐坑木株式会社は調停成立後、下請に命じて伐採に着手し、立花善一らによる伐採禁止仮処分申請がいれられてその命令が出たが、さらに常磐坑木の申請でこれが解除され、こんどは山本善次郎に委任して伐採を続行し、ついには百町歩山林は丸坊主になつたである。その際、常磐坑木が契約どおりの履行をうけられなかつたというのは、同会社と下請け、とりわけ伐採売買を命じた山本善次郎の契約違反に因るであり、本件贈与、売買契約の履行不能を理由づけるものでないことは明らかである。
立花善一らは常磐坑木に対し、常磐坑木の伐木行為による損害賠償請求訴訟を提起し、常磐坑木はまた立花善一らに対して伐木を妨害したとして損害賠償を請求しているのであるが、このことと、現実に常磐坑木とその受任者によつて殆んど完全に伐木されつくしている(すなわち履行されている)争うべからざる事実を考え合せるならば、履行不能なる議論がいかにナンセンスであるかが判断する。因みに常磐坑木は履行不能による損害賠償請求は全くしていないのである。
かくして原判決が本件各契約を履行不能であるという判断は明白に誤りである。
そして、この誤つた判断から原判決は「山本善次郎が資金を捻出するため係争山林原野の立木を目的として結んだ贈与契約および売買契約は調停によつて取得した関係部落民の権利を害するものではない」として、契約によつて丸坊主にされた山の現実を前にしても、部落民の権利は害されていないと強弁するに至つている。これぞ正に空理空論であり、理に落ちて現実をみないものという他ない。
結局、調停において入会権を主張せず、絶対に山に立入らぬのと引かえに贈与するとされた百五十町歩山林上の立木が、すでに調停成立時において、持分権者であり、しかも村の代表たる如き外観を装つた山本善次郎によつて、これが履行が一部もしくは全部可能である状態のもとに売却贈与処分され、現実にすべて伐採されるであろう如き事態の発生を知つていたならば小繋部落民は鹿志村派たると反鹿志村派たるとをとわず、かかる調停には応ずるはずがないこと、証拠によつて明らかであるから、本件調停は要するに錯誤があり無効とされるべきものである。調停成立のとたんに伐採禁止の仮処分命令を申請しなければならぬような事態、その仮処分命令に基く伐採禁止がすぐ解除されるような事態を知悉しながら合意する筈は全部落民について絶対ない。
4 小繋部落民が本件調停によつて得たものは、多額の借金の各方面からの催促、丸坊主の山と数多くの訴訟事件であり、それに引かえに鹿志村に対しては山へは絶対に立入らぬ、入会権は主張しない旨の誓約であつた。いうまでもなく、調停に至つた訴訟事件は小繋部落民が提起した、小繋部落民が原告である入会権確認訴訟である。
部落民の方で自ら裁判所に救済を求めたのであつて、鹿志村の攻撃に応訴したのではない。
救済を求めるものが、すすんで一家離散を強いる調停に応じたとみるべき根拠がどこにあろうか。かかる惨状すら救出できない裁判、かえつて犯罪ときめつける裁判は絶対に正しくない冷酷な裁判である。
原判決の要素の錯誤についての事実誤認。法令の解釈適用の誤り、判断遺脱、理由不備の違法は、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するところの判決に影響を及ぼす違法がある。
四、調停受諾意思の不存在(原判示丙(ホ)に関連して)
1 原判決は、弁護人等の原審以来の主張を「(ホ)利害関係人山火又三ほか十名の代理人兼利害関係人として調停期日に出頭した片野源次郎および利害関係人として調停期日に出頭した被告人山本清三郎は調停条項を受諾する意思を有しなかつた」と要約している。
しかし、ここでも、弁護人の主張はゆがめられていることを指摘せざるを得ない。
弁護人はたしかに、一審冒頭の総括的意見においては右標目のもとに主張を展開したのであるが、一審弁論(竹沢、島田弁護人)、二審弁論(竹沢弁護人)においてはさらに「証拠調の結果は一人片野源次郎のみでなく山本善次郎を除く他の入会権者全部について調停条項受諾の意思の存在しないことが明らかになつた」旨主張しているのである。
したがつて、まず、この点において原判決には判断遺脱、理由不備の違法があるものといわねばならない。
2 山本善次郎を除く他の関係部落民全部について調停条項受諾の意思の存在しなかつたことは、弁護人が従来証拠に基いて明らかにしてきたところである。
一審証人鹿志村光亮の九月一九日調停基本条項が示された前後の状況についての証言は
「問 九月二十日の期日に基本条項案が示された時にその席上に控訴人あるいは利害関係人はいたでしようか。
答 その時はいませんでした。
問 先程あなたは、ここで調停成立が洩れると債権者から文句が出るから困る、秘密にしておかねばならないというのは、席上誰から言われたのですか。
答 それは福田弁護士から出た言葉です。
問 そうすると調停の内容は秘密にしておかなければならんというこはと控訴人あるいは利害関係人のいない席上で言われたわけですね。
答 そうです。」
とのべている。
調停が成立してしまうまでは債権者に条項がもれると困るから秘密にしておく、そのために部落民を除いた席で基本条項が示されているのである。
基本条項がこういう状況の下で示された以上、これを関係部落民全員に示して諒解説得の工作がされなかつたのはけだし当然である。
代理人が右九月二十日以降十月十一日迄の間部落に一度たりとも赴いていないこと、その間、十月十一日直前になつて、鹿志村派部落民に対しては鹿志村光亮が、反鹿志村派部落民に対しては山本善次郎が夫々調停参加方の勧誘をしていることが認められるが、右両名とも基本条項を熟知しているのに拘らず、部落民に対しては、調停に参加すれば山に入れるが、参加しないと入れなくなる、という簡単なしかも事実に反する説明によつて参加方しようようして歩いたこと、その結果、関係部落民は基本条項は何ら知らされず、中には調停とは話し合いを進めてみる程度としか思わぬものが多かつたこと、むしろ、関係部落民の無知に乗じて右各書面に判をとつて歩いたと思われる状況にあることが充分うかがえるのである。
そういう関係部落民に、本件調停受諾の意思が存在したと認めるのはどうしても無理である。
十月十一日当日利害関係人あるいはその代理人として出頭した山本善次郎を除く関係部落民も、それに至る経緯が右の如きものである以上、調停条項読み上げの段階に至つて部屋に呼び入れられ、突然条項を読み上げられる席に同席したからといつて、それが何を意味するか理解できないまま手続終了を告げられ、関係者の祝辞なるものをきかされたとしても、それによつて調停受諾の意思が存在したとは到底いえない。
したがつて合致すべき意思の存在しない本件調停は不成立と認める他ないのである。
3 原判決は九月二十日以降、十月十一日に至る間について「山本善次郎は九月十九日の調停委員会で示された基本条項案を携えて部落に帰り、その後十月十一日の期日までの間に数回にわたり部落民と会合し、ことに、右期日の二、三日前に自宅に小川市蔵を除く控訴人および利害関係人多数の参集を求め、もちろん片野源次郎をもこれに加え、右案を中心に討議した」云々と認定している。
しかし、基本条項がとくに秘密にしておく必要があつて部落民のいない席で提示されていること、山本善次郎が参加申出書等に署名押印をとるのに基本条項を説明せず、むしろ逆のことを宣伝していたこと、代理人弁護士も部落を訪れていないことなど、明白な右各事実によれば十月十一日までの間に「右案を中心に討議した」事実が何ら存在しなかつたこと明らかである。
この点、第一点においてものべたが、原判決には重大な事実誤認がある。
なお、原判決の右事実誤認は十月十一日前後に部落に農村調査に赴いた早稲田大学畑穣副手(当時)らの経験によつても明らかであること、弁護人が最近これを知る機会を得たので追つて証明する。
4 原判決の右重大な事実誤認は本件調停の成否に関する誤認であるから、原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反するものといわねばならない。
五、授権の欠点(原判示丙(イ)、(ロ)に関連して)
1 小繋山数十年の争に終止符をうたんとする調停において、その成立時まで条項が秘密にされて関係部落民に知らされず、当然あるべき説得諒解工作もなされなかつたこと前記の通りであるが、かかる異常な事態の反映が、通常では考えられないところの、五名の訴訟代理人に対する特別授権の欠缺であるとみる他ない。
原判決は「訴訟終了後の段階で既往の代理行為につきその権限の存否が問題となつた場合にまで書面のみによる証明方法を要求する実質上の理由が乏しい」といい、あたかも弁護人が書面上の特別授権の不存在のみをとらえて主張しているかの如くいう。
しかしこれは誤解も甚しい。
弁護人は右の実情と経緯すなわち実質的な理由の反映が書面上の特別授権の欠缺という瑕疵となつて現れたものであり、だからこそ書面の授権欠缺は単なる形式ではなく、実体の反映としてみるべき決定的な瑕疵であると主張してきたのである。
そのことは一審以来詳細に主張立証しつくしたと信ずるから改めてここで書く必要はないと思うが、原判決はかかる弁護人の主張を全く顛倒して、まず主張自体を形式化し、これを形式的な法律論で排斥したものであつて不当である。
2 同様のことは片野源次郎に対する参加代理権授与の欠点についてもいえる。
原判決には重大な事実誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すること明らかであるから、原判決の破棄を求める。
六・七 <省略>
第六点<省略>
被告人の上告趣意<省略>